ウブ私を愛して!






 告白は自分からだ。
 場所も鑑みず、告白したのは人気のなくなった英都大学の講堂。なりふりなど構っていられなかったのだ。
 あの時、自分にあんな勇気があるとは思ってもみなかった。相手は同性。そして友人。普通なら気でも狂ったのかと笑われてもおかしくないようなシチュエーションだった。それか、何かの罰ゲームなんだろう、と言われるか、純粋に気持ち悪がられるか。アリスには火村がそうやってアリスの気持ちを無碍にしないだろうという確信はあったものの、やはり自分でも尋常ではないと思うし、火村が応えてくれることはないだろうことも、覚悟していた。
 それでも告白したのは、若さゆえ、としか説明がつかない。火村がイエスと応えて付き合い始めた今でもそう思うのだ。違う意味で気が狂っていたとしか言いようがない。ある意味では本当に狂っていたのかもしれない。同性の友人を誰よりも好きだと思う気持ちが、狂おしいほどの思いが、静かにアリスの理性を蝕んでいたのやも知れぬ。
 そんなことは、今となってはどうでもいいことだ。問題はそこじゃない。
「アリス」
 バリトンのよく通る声が自分の名を呼ぶ。呆れたような声音だ。否、呆れているのだ。アリスも自分で自分に呆れる。お前は、童貞か、と突っ込みたくなる。言わずもがな童貞なのであるが、あまりにも自分がおかしい。
「そんなに身体を固くするな。何もしない」
 ため息混じりにそう言われると、身を竦めるしかない。そう、問題と言えばこれだ。自分から告白したくせに、触れられたり、恋人特有の、いわゆる"そういう雰囲気"になったりすると、途端に恥じらいが沸き上がってたちまちアリスの身体を固くしてしまう。その変化に火村が気づかないはずもない。いつも彼はそこで遠慮してそれ以上は触れてこない。
 違う、違うんだ火村。
 まるでウブな少女のようではないか、と自分にツッコミを入れつつ、火村への申し訳なさに思わず眉毛が下がる。火村は、どうやらアリスがそれ以上の行為を恐れていると感じているようなのだが、断じてそうではない。下品な話になるが、触られると文字通り、身体――ことに、下半身――も固くなったりする。恐れているわけではなくて、単純に、恥ずかしいだけなのだ。
 幸せで、でもかつてただの友人であった、そして二人きりでない時には紛れもなく友人であるこの男との距離感がうまく掴めない。楽しく雑談をしているかと思いきや、真剣な顔で抱きしめてきたりする。酒を体に入れて、ほろ酔い気分で今なら妙な緊張もせずにキスできるだろうと思って火村を見ると、彼はまるでこちらをあえて見ないようにしているかのように視線を逸らしている。二人は、妙にちぐはぐなのだ。
 違う、のだと言いたい。が、どう説明すればいいのだ? 続けて、と言ったところで緊張と恥じらいが鎮まるわけではなし。火村はそれを敏感に感じ取って結局はいつものように何もせずに終わるだろう。
 しかし、いつまでもこのままではいけない。
 愛想を尽かされたと思われたくない。そんな誤解で愛想を尽かされたくはない。アリスは決心して、アルコールを多めに買い込んだ。執筆中だった小説が完成したことにかこつけて、火村の下宿で呑もうと画策したのだ。
「おい、ちょっとペースが速いんじゃないのか」
 火村の心配をよそに、アリスは気持ちよく酔っていた。アルコールというものはやはり、いいものだ。まだ賞に出してもいない新作ができたからと言って浮かれているのも妙だとは思うが、大学のレポートとの並行作業は、それなりに骨が折れるものだった。右手で小説を、左手でレポートを同時に書くことができたらどんなにいいかと思ったものだ。疲労した体に、アルコールは驚くほどよく馴染む。
 火村も、人の呑みっぷりと指摘したものの、結構なペースで呑んでいる。お互いほろ酔いで気分もよくなってきて、アリスは今度こそ、と意気込んだ。この際、火村がそっぽを向こうが猫と対話を始めようが構わない。
 アリスは這うようにして火村の隣へ向かった。とは言っても、ものの数歩だ。畳の感触が手のひらから伝わる。火村はこちらには目を向けずに、チューハイをちびちびと体に流し込んでいる。アリスは火村の皺だらけのシャツを引っ張った。一瞬でもこちらに意識が向いた瞬間、口と口を合わせる。我ながら、そこにぎこちなさはなかったように思う。火村の少し驚いたような表情もまた、アリスを煽る。
 もっと、もっとと身を乗り出したところで、火村に押し戻された。唇を離して軽く首を傾げて見せる。なんだ。これは拒否か? いや、まさか。さっとアリスの中を冷たいものが駆け巡る。
 火村は苦々しい表情をしていた。
「なんでや」
 と言うと、火村がタバコを取り出して火をつけた。その作業が終わるまで、アリスは大人しく待つ。
 やがて火村が、「お前、酔ってるだろ?」と言った。何を言う。
「酔ってるって? 当たり前やないか。呑んどるんやし。君かて、酔ってるやろ?」
「酔った勢いで俺に襲われて、後になってから後悔しても襲いんだぞ」
 はあ?
「何言うとるん、君。勢いだけで俺がこんなことせえへんし、これぐらいの量で記憶を失ったりもせんわ」
 火村は苛立たしげに煙を吐き出した。
「無理すんなよ、普段はあんなに怖がってんじゃねえか。俺はお前の意志を尊重してんだぞ」
 なんだ、その勝手な言いぐさは! さすがに腹が立った。確かに誤解を生ませるような態度を取っていた自分にも非はある。それは認める。しかしお前の意志、と言うが、その意志をまずはき違えているではないか。
「君は、あれやな? 俺が君を怖がってると勝手に思って、だから自分は気を遣って自制してやってるんだって、そう言いたいわけやな」
「勝手に思って、ってのはなんだよ」
「俺は別に、怖かったわけやない」
「じゃあなんであんなに緊張して固くなってんだよ。誰だってそんな反応されたら普通そう思うだろ」
「それは君の想像やん」
「じゃあ聞くが、お前はどうしてあんな反応をしたんだ? 純粋に嬉しいだけの反応だと言い張るのか?」
 そうでもない。
 私は、言葉がうまく伝わらないことにひどくもどかしく感じた。しかし、酒の入った舌はもたついてうまく回ってはくれず、しかし怪しい呂律でまくし立てる。
「俺やってようわからんわ! 今までこんなこと一度もなかったんや。なんか、ずっとこんなことになったら幸せやろうな、って思ってたことが現実になって、全然実感沸かへんし、君は相変わらず気障やし、軽口ばっか言い合ってた相手と、いろいろ、そういう、ことをするのが変な感じして、緊張してまうし……ほんまに、今まで一度もこんなことなかったんやぞ。どんな女の子と向き合ってもどきどきせえへんかったのに。君だけなんや。おかしい。俺は、君と二人でいると、おかしくなる」
 次々と言葉を繰り出した割には、尻すぼみになってしまう。考えてみれば、本当に変な話だ。今まで付き合った女の子は誰も魅力的だったはずだ。それなのに、その時の心の余裕がまるで幻だったかのように、火村の前ではいとも簡単に融解してしまうのだ。ああ、今、火村が自分に触れている、と思うと、もう駄目だ。心臓は破裂しそうに高鳴るし、期待を膨らませすぎて身体は言うことをきかない。
「……俺は、君ともっとキスがしたいし、触りたいし、その先だって、怖くない」
 火村の目を見て言った。火村はじっとこちらの目を見ている。まるで、その中にある真意を計るかのように。
 やがて、火村はふっと目を伏せた。そして、今一度アリスを見据える。その眼差しは優しいそれで、アリスはなぜかその時、泣きたいくらいに火村を愛しいと思った。自分のような男を愛しいと思ってくれる彼がたまらなく愛しい。ああ、もう、こうなったら底なし沼だ。
 火村がそっと右手を伸ばしてアリスの頬に触れる。そうして優しくキスをする。アリスもそのキスに応えるように火村の背中に腕を回しで、抱きつくようにして唇を貪る。火村は唇を離すと、今度はアリスの首筋に口付けた。くすぐったさと、そうでない何かが体中を駆け巡る。
「俺はおかしい。ほんまにおかしい」
 軽く息を乱しながらそんなことを言うと、火村が笑う気配がした。吐息が首筋にかかる。それすらもアリスの欲情をかき立てる。知らなかった。自分がこんなに欲深な人間だったなんて。
「体、熱いな」
 火村がアリスの服の下に手を滑り込ませながら言うので、とりあえず「誰のせいや」と突っ込んでおいた。アルコールのせいだけではないことはわかっている。この男が体温を上げた張本人だ。足の指から、頭の先まで、キス一つで簡単に温かくなる。全身に血が通う。ものすごい早さで。
「もっと熱くしてやる。覚悟しろ」
「ほんまに、君は、気障な男やなあ」
 笑いながらも、アリスはまた体温が上昇するのを感じた。その声すらもアリスを熱くしているのだと、彼は気づいているのだろうか? 確信犯かも知れない。わざわざ耳元で囁いて見せるんだから。
 アリスは笑って、無我夢中で火村を抱き寄せた。自分の体はどうなろうと構わない。痛いだろうか。痛いに決まってる。でも火村が満足してくれればそれでいいのだ。自分に夢中になってくれれば。願わくは、自分が火村に夢中になるほどに。
 ああ、本当に自分はどうしてしまったのか? まるで思春期の少女のようなことばかり恥ずかしげもなく考えてしまう。それでも、いいか。彼が、そんな自分を好きだと言ってくれるのなら。


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