秋口のかい、






 江神さんの背中を追いかける。
 僕はいつでもこの広い背中を追いかけていて、たぶん完全には追いつけない。でも、手を伸ばせば届きそうな距離にある。それとも、そう錯覚しているだけか?――先ほどから、そんな抽象的なことばかり考えている。悲観的になるのは、僕が江神さんの隣に並べないからだ。何を言われたわけでもないのに、なぜか僕は隣には並ばずに、一歩引いたところを歩いている。
 今日は、EMCでの集まりがあった。何のことはない、ミステリーツアーと称してはいるがただの廃墟探索だ。廃墟と、そこに聳え立つ病院だったり神社だったり、というのは非常にそそられるものがある。廃墟というよりは荒地という印象が強かった。各々そこで様々なミステリーを空想してから、解 散となったのである。
 マリアは近くの友人のアパートに泊めてもらうそうだ。望月と織田は途中まで僕たちと一緒だったが、途中から道が分かれて帰ってしまった。
 二人きり。
 妙な気まずさはなかったが、いつものように会話ができない。それは自分自身の邪な感情が邪魔をするからであった。江神さん本人にだけは悟られないようにしようと思うと、どうしても口数が少なくなってしまう。不器用だな、と自嘲する。
「アリス」
 江神さんが急に立ち止まって振り返った。下を向いて歩いていた僕は危うくぶつかりそうになる。
「な、何ですか江神さん」
「寒くないか?」
 僕はきょとんとして、そう言えば寒いかも、と自分の出で立ちを改めて見ながら思った。日中の気温はそれほ どでもなかったが、夜になって一気に気温が下がるとさすがに上着なしではつらい。江神さんはコートに両手を突っ込んでいて暖かそうだ。自分が暖かいのに、どうして僕が寒いことがわかったんだろう。
「寒い、ですね、そういえば」
「何やそう言えばて。気づかんかったんか?」
「はい。ちょっと考え事してて」
 江神さんはちょっとだけ笑って「またミステリのことか」と僕をからかった。確かに、と僕は思う。ミステリーと言えば、ミステリーかも知れない。江神さんという存在そのものが、江神さんの内包する様々な謎を含めて、ミステリーだ。
「似たようなもんですね」
 微かな微笑をたたえていた江神さんは、唐突にポケットから左手を取り出して僕の右手をぎゅっと握った。
「や っぱり、冷たい」
「……そりゃあ、まあ」
 顔の方は熱くなってきたけど。
「江神さんの手はあったかいですね」
「ポケットの中いうんも、なかなか快適や」
 先ほどまで手を突っ込んでいたコートのポケットを軽く叩く。その際、僕の右手を握っていた江神さんの手が離れてしまって、何となく寂しいような、ほっとしたような気になる。
 江神さんが再びポケットの中に手を突っ込んでごそごそやっていたかと思うと、中から何かを取り出して「ほれ」とアリスに手渡す。
 見てみると、一対の軍手だった。
「つけてろ」
「え、いや、でもこれ江神さんがつけるべきなんじゃないですか? 江神さんのやし」
「俺はいい」
「でも、悪いですよ」
 僕が渋っていると、「それなら 」と言って、江神さんは僕の手から軍手を一旦取り上げると、左手だけを寄こした。自分は右の軍手を早速はめている。
「これならええやろ」
 いいことにしよう。
「まったく、アリスは妙なとこで意地っ張りやな」
「意地張ってるんやなくて、遠慮しとるんですよ。立派な後輩を気取ってるんです」
「それ、自分で言ったら意味ないやろ」
「そうなんですけど」
 僕も左手に軍手をはめる。長い間ポケットに入っていたからか、暖かかった。
 胸に幸せを浮かべて歩き出そうとすると、江神さんは僕の右手をごく自然な動きで握る。思わず歩みだそうとした足を止めてしまった。
「な、なんですか」
「アリスの手があんまり冷たそうなんでな。ちょっとだけ許してくれ」
 許してく れ、って、どちらかというとそれは僕の方だと思うのだが……。僕は無言で頷いて、歩き出した江神さんと並んで歩く。あれ、並んで歩いてる。さっきまでずっと背中ばかり見てたのに。
 背中はもう視界には入らない。俯くと見えていた江神さんの足跡もない。でも、右手にはさっきよりも確かな、江神さんの、存在を、体温を、感じている。顔が熱くなる。いずれ二手に分かれてしまうのだけど、それまでこのままであることが許されるのなら、二人を分かつ分かれ道など、永遠に存在しなければいいのにと、願わずにはいられなかった。


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