予期せぬ告白の顛末 side:A 一瞬、自分が口走ったことの意味がわからなかった。予期せず、思わず口から漏れてしまった言葉のようであり、しかし自分が今までずっと大切に仕舞込んでいた、ある意味口にするのが当然だった言葉でもある。目の前で、真正面からその言葉をぶつけられた江神さんは、驚いたように、僅かにどう目している。その瞬間、アルコールで熱くなった僕の体は、冷水を浴びたように冷たくなった。酔いも一気に醒めてしまう。 ――好きです、僕。江神さんが。 自分の発言を思い返して、僕は束の間パニック状態に陥った。なんてことだ。ずっと言うまいと断腸の思いで隠し続けてきたことを、酔いに任せて、こうもあっさり喋ってしまうなんて。本当に衝動的だった。思わず、とかつい、といったレベルのものだった。酔っている僕を心配して、駅まで送ると江神さんが言うから。僕にはそれがどうしようもなく嬉しかったのだ。 訂正してしまおうかとも考えたが、冗談めかして「なんちゃって」と笑う勇気も余裕もない。僕は馬鹿だ。江神さんは優しいから、拒絶されることはあり得ない。それでも、言うつもりなどこれっぽっちもなかったのに。 江神さんはそんな僕の様子を見てちょっとだけ笑ってから、「ありがとう」と言って僕の頭を二度、ぽんぽんと軽く叩いた。それすらも、ああ、どうしようもないくらい優しい。優しくて、愛しい。 「そんな泣きそうな顔すんなや」 江神さんが苦笑して言う。そりゃあ、泣きたくもなるさ! 「今の、忘れてくれて構わないです」 僕は涙を堪えた震える声で早口にそう言った。江神さんを困らせないためだと自分に言い聞かせつつも、本当は自分が怖いだけなのだとわかっている。拒絶されることも辛いが、告白などなかったかのように笑いかけられるのも辛い。だからいっそのこと、そんなもの、最初からなかったことに自分からしてしまえばいい。そうすれば僕は江神さんの笑顔にも、「ああ、江神さんは僕のために忘れたふりをしてくれているんだ」と思うことができる。 「泣きそうな顔で、そんなこと言われてもな」 「だって、江神さんだって困るやないですか。迷惑でもはっきりそう言わないでしょう。僕の、精一杯の配慮なんですよ。……答えを出せなんて、言いませんから」 僕は顔を俯ける。ああ、駄目だ。駄目だ駄目だと念じながらもとうとう涙がこぼれてしまった。どうしようもなく、僕は弱い人間だなと思う。好きな人の前で、涙すら抑えられないなんて。江神さんは困ったように笑ってる。見えないけど、絶対にそうだ。 「アリス。電車、遅れるぞ」 やがて江神さんが言うが、僕は路傍にしゃくりを上げながら、突っ立っているほかなかった。江神さんに急かされても、数歩歩いてはまた立ち止まってしまう。 「アリス」 江神さんは強行手段とばかりに、僕の手を取ってずんずん歩きだした。僕は引っ張られるようにして歩き出す。あいた右手で目を擦っていると、「擦ると赤くなるぞ」と言われた。優しい声音は、まるでお父さんみたいだ。僕は大人しく擦るのをやめる。好きな人と手を繋いでいるのに、なんだこの情けない状況は、しかしその手を離そうとは思わないし、気持ちを受け入れてもらえなくても、永遠に駅になんてつかなければいいのにと思う。 「すみません、江神さん」 鼻を啜りながら言うと、江神さんは優しく笑った。 「情けない顔やな。鼻かめ」 そう言ってポケットティッシュを渡される。しかし、僕は首を振ってそれを受け取らなかった。鼻を噛むには両手を使わなければならない。そうしたら江神さんと手を離さなくてはならなくなる。 「駅に行ってから貰います」 僕の下心が、江神さんには伝わっていただろう。それでも別にいいと思っていたし、江神さんも軽く頷いてティッシュをポケットにしまった。今だけなら、甘えてもいいだろう。 駅についたのは、僕の乗らなくてはいけない電車が出るまであと四分、といった時だった。しかし駅についても僕はとてもじゃないがそのまま電車に乗る気分にはなれずに、名残惜しく江神さんと手を繋いだままでいた。江神さんは何も言わず、僕も駅の真ん前に立ち止まったまま。夜の駅は閑散としていて、人の姿はまばらだったが、暗闇にも僕らが手を繋いでいるのは見えていただろう。それでも誰もが立ち止まることなく横を通り過ぎてゆく。 この手を離せば僕は帰らなくてはならないし、帰ってアパートについて、寝て、次の日になって、大学へ来れば、江神さんと僕と、先輩たちとマリアはいつものようにまたみんなで騒ぎあって楽しく過ごすのだろう。今日のことは夢になる。夢だ、だけど、まだ醒めたくない。 泣いた後というのは、得てして涙もろくなるものだ。僕はやっと止まったと思った涙がいとも簡単にまた溢れだしてくるのを感じながら、指先の震えを悟られる前にと、江神さんの手を離した。 ぐっと拳を固めてから、江神さんに向き直る。 「すみません、わざわざ送ってもらって。……それじゃあ」 「アリス」 きびすを返そうとした僕を、江神さんが引き留める。 江神さんは右手を僕に向かって伸ばした。指先が頬に触れる。僕は驚いたが動くことなどできなかった。指先は涙を拭うように、そっと動く。そのちょっとの動きで、僕は全身身動きが取れなくなっていた。 「アリス。俺がいつ、困るとか迷惑だとか言ったんや」 すぐに告白のことだと気づく。 「思ってても、言わないやないですか。江神さんは」 「なるほど。お前はきっと俺がそう思うだろうと決めつけてるんやな」 「普通でしょう。男からあんなこと言われたら、誰だって遠ざけたくなるのが普通ですもん」 思わず拗ねたような口調になる。しかし本音である。そしてこれこそが僕が気持ちを心の内に仕舞っておこうと決意した理由でもある。 江神さんはたぶん、そんな僕を見て苦笑している。涙で曇った目には、よく見えないけれど。 江神さんの指がまた動いて、僕の顎を捕らえた。そのまま少し持ち上げられる。何だろう、と思う暇もなく、江神さんは素早く、そして軽く――僕の唇にキスをした。 僕は言葉を失う。江神さんは笑って、僕に背を向ける。駅構内から僕が乗るはずの電車の発車アナウンスが流れる。僕はしばし呆けた後、すぐに江神さんの背中を追って駆けだした。先ほど自分が言った「答えを出せなんて言わない」という言葉は跡形もなく消えていた。今すぐにでも答えが聞きたい。このキスの意味を。 江神さんはわざと背を向けたに違いない。背中で発車のベルが鳴り響く。後はもう始発まで電車はない。僕はもう、帰れないのだ。江神さんはそれも、僕が追いかけて来るだろうことも、わかっていて。 僕は夢中で、闇に溶けた江神さんの背中に手を伸ばした。 |