惚れたれたの俺たちは






「っつあー。アチー、死ぬ」
「だあああ! さっきからウルセーなァ! 暑いのはわかったっつーの!」
 こんなやり取りも、もう数え切れないほど繰り返した。それなのに、一向にジャンの口からは「あつい」以外の単語が出てこない。
 イヴァンもいい加減イライラしてきたようだ。先ほどから疲れた顔を隠して威厳を出そうと頑張っているのだからそりゃあイライラもするだろう。しかしジャンはジャンで辛いのである。汗が淀みなく流れ、頬も額も腕も足も、汗だくだ。
「あ、シマッタ」
「あ? どうした」
「サイフ持って来ちまったー」
 ジャンがため息をつきつつ項垂れる。
「テンメー、また俺に驕らせる気だったな!?」
 イヴァンが何やら騒ぎ始めるが、ジャンは無視して財布の中身を数えている。間に合うかなー、と思いながら数えていると、フッと一瞬だけ頭が真っ白になって、気づいたら財布を落としてしまっていた。中身が地面に散らばっている。
 おっと、大事なカネが。ジャンは拾おうと身を屈めるが、フラついて地面に手と膝をついた。ヤバイ。反射的に思う。これは、ヤバイ。マズイ。
「おい、ジャン、大丈夫かよ?」
 イヴァンが慌ててジャンの腕を掴む。イタタ、そんな引っ張んなって。思うが口に出さない。その代わりに、
「ムリっぽい」
 とだけ言うと、自らの意思で、今までせき止めていた意識を手放した。



 ベッドの中で覚醒した。
 ジャンはもそもそと体を動かし、気持ちのいい質感のシーツを乱暴に体の脇に寄せる。クーラーがついているからそんなに暑くはなかったが、鬱陶しい。
 信じられないくらい体がだるかった。
 這いつくばるようにしてベッドから降り、四つん這いになったままホテルの部屋の備え付け冷蔵庫に向かい、扉を開ける。酒が飲みたい気分ではなかったので、水を取り出してキャップを開け、一気に呷る。少しは気分がすっきりしたが、体のだるさは依然として残った。
 思考に覆いかぶさるようにしていたもやが晴れると、だんだん自分の置かれた状況が理解できた。つまり、倒れて運ばれたのだ。
 ここまで運んでくれたのはイヴァンだろうか。もう暗くなっているのに、まだ帰ってきていないらしい。
 と、思っていたらノックの音がした。次にドアが開いて、イヴァンがウンザリしたような顔で入ってくる。ノックの意味ないじゃん。
「よう、お疲れさん」
 少しバツが悪くて、様子を窺うように言うと、イヴァンは少し驚いたようにジャンを見つめた。まだ寝ていると思ったのだろうか。次いで、ものすごく嫌そうな顔をして見せる。
「ファック! テメーのせいで大変だったんだぞ!」
 アハハ、沸騰直前ってヤツ? ジャンは笑って誤魔化そうとしたが、なるほど、大変だったのは本当らしい。イヴァンはそれ以上得意の罵詈雑言を並べることなく、ベッドにダイヴした。
「悪かったって。明日からはちゃんと仕事に……っと」
 急に立ち上がったせいでフラついてしまった。侮るなかれ熱中症。いや、日射病? よくわからないけど。「仕事、するからさ」ジャンは今度はフラつかないよう慎重に歩を進めてベッドに、イヴァンと同じようにダイヴした。
 イヴァンがもぞもぞと動いている。何か言いたそうにしているな、とジャンは敏感に感じ取った。イヴァンはわかりやすくていいよな、と思いながらとりあえず待ってみた。
 すると、
「……てろ」
「あ?」
「だーかーらっ! テメーなんか来たって役立たねえから明日も寝てろっつってんだよ!」
 ワァオ。ジャンは心の中で歓声を上げた。
「なーにイヴァン君、心配してくれるの?」
「うるせえ! またぶっ倒れられたら仕事になんねーっつってんだよこのタコ!」
 イヴァンの顔が少し赤くなっている。本当にわかりやすい奴だ。ジャンは少しイヴァンをからかってやろうと思い立ち、素早くイヴァンのベッドに移動した。イヴァンはぎょっとしている。
「心配しなくてもいいのよダーリン。ここは二人しかいないんだから、ね」
 ベルナルドと戯れる時のような口調でイヴァンの顔を覗きこむと、イヴァンは明らかに動揺していた。そしてそれを必死に隠そうとしている。あー、楽しい。ジャンはますます面白くなった。同時に、楽しさ以外の何か……そう、例えば、高揚感、興奮とか、そういうものがせりあがってくるのを感じた。
「や、ヤメロテメエ! 気色悪ィな!」
 気色悪い、と面と向かって言われ、少々ムッとする。この俺がこんなに誘ってんのに、乗ってこない(というか、わかっていない)なんて、鈍感男め。ジャンは容赦なく心の中で悪態をつく。
 イヴァンは歳にしちゃあな毎期で肝が据わっているけど、どうも、それ以外のトコがまだ発展途上だよな……。ジャンはため息をつきたい気持ちをおさえて、イヴァンのベッドから離れようと(相手が乗り気じゃないんじゃ仕方がない)腰を上げた、が。
 条件反射のように、イヴァンの手が、行きかけたジャンの腕をがっちりと掴んだ。
 ジャンはニヤリと笑う。
「なーにダーリン。その気になってくれた?」
「うっ……ウルセエ! 犯すぞテメエ!」
 思いがけなく飛び出したイヴァンの突拍子もない言葉に、一瞬だけきょとんとする。ジャンはしかし、次に浮かんできた笑みをおさえることができなかった。こういう時ジャンは、イヴァンが口の悪い子供(ガキ)でよかったと、心から思うのだ。それなのに、口先ばかりではない、そういう男だから、余計に楽しい。
 ジャンは笑みを顔にたたえたまま、イヴァンの耳元に唇を寄せた。
「気持ちよくしてくれんの?」
 乗った。ジャンは直感する。
 イヴァンは挑発に乗った。目を見ればわかる。少し赤く潤み、情欲に満ちた目をしている。
 ――やっと乗ったな。
 そう考えてから、ジャンは、結局夢中になってんのはこっちか、と、諦めにも似たことを思った。そして、急に無口になったイヴァンを見つめる。
 と、イヴァンは急に口付けてきた。それも、相当深いの。

 ノープロブレム。あっちも俺に、夢中!


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