双子マジック エイハブおじさんに頼んで、少しだけ街を二人で歩かせてもらうことにした。泣いた右目に、風がひやりと心地いい。会うなり泣いてしまった気まずさよりも、もっと話がしたいという思いの方が強かった。 互いに遠慮しながらも、ガブリエルと言葉を交わすことで、僕の中で『ガブリエル』と『ガビィ』は決定的に決別した。しかしもう先ほどのように感情があふれることもなければ、もちろん涙を流すこともなかった。ガビィは僕の中へ還った。ずっと、僕という"個"の中で、僕とともにあり続けるのだ。ガブリエルとは、僕とガビィの築くことのできなかった『本当の兄弟』という関係を築いていけばいいだけだ。 様々な思考を頭の中で巡らせていると、不意にガブリエルが「爪」と言った。 「え?」 慌てて指を口から離したところで、初めて自分が爪を噛んでしまっていたことに気付く。 何となくガブリエルを見ると、ガブリエルの苦笑する瞳の奥に、どこか懐かしむような色があるのを見てとった。 「僕も昔、よくやってたよ。でも、父さんにも母さんにも、教会の牧師にまでやめろって言われてさ。今はもうその癖は抜けたけど」 「……僕ももこの癖は抜けたと思っていたんだけどな」 時折やってしまうことはあったが、今のがそのたまにやってしまう癖なのか、それとも僕がかつてガビィに与えた癖が還ってきたのかはわからない。 不恰好な自分の爪を見つめていると、その先で何かがひらひらと舞うのが見えた。ふとそちらへ目をやると、蝶々がひらひらと舞っていた。道端の小さな花の周りを、不規則な動きで回っている。自然と注視していたようで、ガブリエルが「マイケル?」と僕の名を呼んだ。僕はそんなガブリエルを手招く。 「見ろよ。この寒い日に、蝶が飛んでる」 「本当だ」 しばらく、二人で鼻の周りをくるくる踊る蝶を見つめていたが、 「――っくしゅっ!」 マイケルは自分のくしゃみで我に返る。寒いと自分で言っておきながら、ガブリエルまで付き合わせてしまった。そっとガブリエルを見ると、予想に反して、ガブリエルは穏やかに笑っていた。やはりその顔に『ガビィ』の面影はない。しかし、どこか懐かしさを覚えた。 「そろそろ戻ろう。君は風邪を引きやすいんだから」 「エイハブおじさんに聞いたのか?」 ガブリエルがあまりに当たり前のように言うので、エイハブおじさんもおしゃべりな人だ、と半ば呆れつつ思っていたのだが、ガブリエルは「いや」と首を横に振った。 「何となく、そんな気がしたんだ。僕も昔はそうだったし」 「君がそうだったからって、なんで僕までそうなるんだ」 「だって、僕らは双子だろ?」 一瞬ドキリとした。 ガビィみたいなことを言うんだな、と言いそうになった。しかし、結局「……そうかな」としか言えず、しばらく無言で道を歩く。 ふと自分の周りに目を向けてみると、些細なことではあるが、実に様々なものが段々と変わってきていることに気付く。たとえばやせ細った木々の先にある小さなふくらみとか。たとえば風のあたたかさとか。子どものはしゃぐ声や、それを宥める母親の声すらも、季節の移り変わりを感じさせる。 前までの僕なら、そんなのは当たり前だとばかりに突っぱねていただろう。もうずっと前から景色はここにあったのに。ガビィはいつもちゃんと見ていたのだろうか。いや、小さい頃の僕は見ていたと言うべきか? 実のところ、僕はまだ『ガビィ』が子どもの頃の僕の分身なのか、僕の愛する人たち、そして僕からたくさんのものを与えられて、その上で自我が芽生えたのか、未だによくわからない。そのどちらも、なのだろうか。それならそれで、構わない。 ガビィは僕の中へ還った。僕はきっと僕を好きになれる。 そして、僕の傍にいるみんなを、愛することができる。 「マイケル」 ずっと黙していたガブリエルに突然名前を呼ばれて、僕は弾かれたように顔を上げた。 「なんだ、ガ――」 思わずガビィ、と言いそうになって、咳払いで誤魔化し、改めて「……なんだ、ガブリエル」と言い直した。ガブリエルが立ち止まったので、僕もそれに倣って立ち止まる。 「マイケルを見てると、何だかすごく懐かしい感じがする。なんでだろうな」 ガブリエルは優しげな顔で目を細める。僕は直感する。ガブリエルもきっと、小さい頃は路傍の花や生き物に芽を向けていて、親や教会の神父様たちから『注意力散漫』と言われていたに違いない。不思議なことに、『ガビィ』のことはよくわからなかったのに、ガブリエルのことはわかる。 そうか、これが双子ってやつなのかな。 「ガブリエル、君は釣りが好きか」 「え?」 ガブリエルは一瞬目を丸くしたが、すぐに顔に笑みを広げた。 本当に心底嬉しそうで、一気に子どもに帰ったみたいだった。ガブリエルの子ども時代なんて、知らないけど、もうずっと前から彼を知っているような気がしてならないのだ。 「釣りは大好きだよ! マイケルも?」 「ああ」 監督生になってからは釣りをすることはほとんどなくなったが、それでも好きだということに変わりはない。 「今度、外出日が来たら……一緒に釣りをしないか」 「もちろん!」 ガブリエルは嬉しそうに頷いた。そして思い切り僕を抱き寄せる。 僕はそれを驚きと、不安とをもって受け止めた。まさかこの辺に神父様などはいないと思うが、どうしても警戒してしまう。 耳元でガブリエルが呟くように言った。 「僕らはきっといい兄弟になれる」 「それはさっきも聞いたよ」 顔が見えないのでわからないが、どうやらガブリエルは笑っているらしい。くつくつと声を抑えて、いかにも楽しそうに笑っている。 「……なんだよ」 「いいや。とにかく僕は、嬉しくてたまらないんだ」 こらえきれずに、僕も少しだけ笑ってしまった。そっとガブリエルの背に手を伸ばす。 「僕も、嬉しい、かな」 大丈夫だ。誰にも文句なんて言わせない。 だって僕らは、命を分け合った双子なんだから。 |