タコヤキと気まぐれ 「なーイトー、俺もう疲れた」 「何言ってんだよ、お前が食いたいって言うから並んでんだろ」 「そーだ、俺ちょっとそこらへんぶらついてくるからよ、頼んだぜイトー」 そう言って三橋がタコヤキの行列から離脱したのが十分前。 「はあ……」 伊藤はそのときのやるせなさを思い返し、祭りの空気にそぐわない盛大なため息をついた。 並び続けたかいあって、目の前にはすでに二、三人しかいない。 それにしても、と伊藤は眉をひそめた。 (三橋の奴、また変な奴に噛み付いてんじゃないだろうな……) 屋台がならぶ通りの裏には、数人でたむろしている輩も多い。 三橋が負ける心配は全くしていないが、気にはなる。伊藤が不安げに周りを見回していると――、 「あんちゃん、いくつ?」 「あ、ふたつで……」 いつのまにか順番が来たらしい。慌ててお金を出すと、アツアツのタコヤキの濃厚な匂いが鼻の奥に流れ込む。確かにこれはうまそうだ。 「……さてと」 ようやく長い列から抜けた伊藤は、どうやって三橋を探すか頭を悩ませていた。 結論から言うと、三橋を探すのにさほど時間はかからなかった。 「裏でね、喧嘩してんのよ」 「やだ、怖いわねぇ……」 そんな会話が耳に入ってきたからである。伊藤が確信を持って横道に入ると、案の定。 金色の頭が周りの暗さの中でひときわ強く輝いていた。 その頭がゆっくりと振り返る。 瞬間、伊藤は息を呑んだ。ニヤリと笑った口元が赤く、扇情的な色を湛えている。 ドクリと心臓の音が聞こえた気がした。 強い衝動が押し寄せてきて、しかしすんでのところで押しとどめる。 「オメーの分は残ってねーぜ」 深く呼吸をしながら周りを見ると、どうやら倒れているのは四人だ。脇にはパイプのようなものも転がっている。 「おい三橋、大丈夫かよ」 「んだよ、コイツらが喧嘩売ってきたんだぜ?」 「そーじゃなくて、殴られたんだろ?」 「あー、コレか」 そう言って、三橋は面白くなさそうに足元に転がっているパイプをガツンと蹴った。どうやら、三橋としても納得がいかないらしい。卑怯で自分の上を行くものは許せないのだ。 「唇、切れてんぞ」 「あー」 そのまま腕でゴシゴシと擦ろうとする三橋を慌てて止めると、案の定睨まれた。 「何だよ」 「バイキン入んだろが」 「イーヨ別に」 「あいつらのバッチイ血が入んだぞ」 「……」 ぴたりと動きを止めた三橋の腕をとって、伊藤は屋台とは反対側に歩き出した。 「どこ行くんだよ」 「……」 「オイ」 「……」 「無視すんじゃねー」 三橋に蹴りを入れられたところで、ようやく伊藤は足を止めた。 三橋の方に振り向く。まわりには寂れたスナックが何軒かあるだけで、人一人見当たらない。 「……そのままじゃタコヤキ食えねーだろ」 そして、三橋の反論を聞く前に強引に口付ける。固まりかけている唇の傷口をしつこく舐めると、じわりと血の味がした。 「……ッ」 痛みを感じたのか、三橋がのどの奥で小さく呻く。それさえも興奮を刺激して、伊藤はさらに深く三橋の口腔を蹂躙した。次第に頭が痺れてくる。 ついに堪えきれなくなって三橋のTシャツの下に手を入れたときだった。 ドン、という思いがけない衝撃とともに、伊藤は地面に尻餅をついていた。 「……っ、この、ボケっ……!」 荒々しく肩で息をしながら、三橋は顔を真っ赤にして怒っている。 「サカってんじゃねーよっ!」 その姿にも欲情してしまう自分を否定できなかったので、 「……オメーが誘ったんだろ」 言い訳のように呟くと、三橋がもちろん聞き逃すはずもなく。 「俺がいつ誘ったよ! エロガッパが、テキトーなこと言ってんじゃねー!」 伊藤が無抵抗なのをいいことに、げしげしと蹴られた。 「イテーって! タコヤキ食わせてやるから機嫌直せよな」 ぴたりと三橋の動きが止まる。どうやらすっかり忘れていたようだ。 そして、三橋は無言のままビニール袋からタコヤキのパックを二つ取り出すと、目にも留まらぬ速さでそれを食べ始めた。 「あ、オイ……」 にわかに不安を感じたときにはもう遅かった。三橋はためらいなくもう一つのパックを食べ始めている。 「なんひゃ、なんふぁふぉんふあふのふぁ」 べたべたとソースやらマヨネーズやらを口につけたまま、ぎろりと睨まれる。 「あーあーナイナイ、ナイデス」 とりあえず機嫌を直してくれればなんでもいいかと思い、伊藤はひっそりとため息をついた。 「おいイトー」 「あ、食い終わったか?」 伊藤が顔を上げると、三橋が軽く睨みつけるようにして空のパックを突き出してきた。 いや――よく見ると、空ではない。パックの端に、丸いものが一つ。 「これ……」 「三橋様のご慈悲じゃ」 にやりと勝ち誇ったような顔をする三橋だが、口の周りが汚いのでなんとも迫力に欠ける。 そもそも俺の金だろ、とか、俺が並んでやったのに、とか言ってしまったらすぐにでも没収されそうだ。 「そんじゃ、ありがたく頂きますか」 食べ終わったらその口をもう一回舐めてやろうと心に決めて、伊藤はまだ温かいタコヤキを口に放り込んだ。 |