ぜんぶ花火の魔法なの ひとたびそこに向かうと、街の喧騒とは比べ物にならないくらいだった。 浴衣姿の人が圧倒的に多く、それより多かったのが何と言っても、カップルである。奥に行くほどカップルがいる。三橋の眉間のシワは、進むごとにだんだんと深くなっていって、伊藤は気が気ではなかった。同時に、三橋が夏祭りに行くのを渋っていた理由を悟る。 普段、面白いことに首を突っ込む奴が、伊藤が思いつきで夏祭りに誘った時には最初は拒否したのを、ずっと不思議がっていたのだが、なるほど、カップルだらけの場所に野郎二人で乗り込むなんて、と思っていたのだろう。面倒くさがりの三橋にとって、夏祭りは面倒くさいに分類されていたのだ。 しかし、いざ出店の立ち並ぶ場所に来ると、「あれなんだ?」とか、「お、金魚じゃねえか」「射的だ! やろうぜ!」などとにわかに騒ぎ出した三橋を見て、やっぱり呼んでよかったなあと伊藤はしみじみ思う。伊藤自身、祭りがあるということを今日クラスの女子から聞いて、喧嘩に明け暮れた日々だったので少しくらい騒いでも怒られないだろうと思い、三橋を誘ったのだった。 「イトー、射的!」 「おー、そうだな。俺は見てるからお前やれよ」 「そうじゃなくて、オカネ」 きらきらした目でそんなことを言われて、思わず伊藤は自分の財布を取り出しそうになってしまった。危ない危ない、これが祭り効果ってやつか。祭りって聞くだけで、財布の紐が緩くなってしまう。伊藤は呆れた顔をして駄目だ、と言って見せた。 「いいじゃんよいいじゃんよ、百円くらい」 「百円くらい自分で払え!」 「けちーけちけちー伊藤君のどけちー」 「おーおーなんとでも言いやがれ」 三橋は、こんなことなら理子も連れて来ればよかった、などとぶつぶつ呟きながら財布を取り出した。三橋も夏祭り効果でいつもよりお金に対する執着がなくなっているのかも知れない。 「なんだこれ、当たったのに落ちねえぞ……あ! 細工してやがんだな! 畜生、アコギな真似しやがって! それでたっぷり儲けようたってそうはいかねえぞこのや……うわっ」 「はいはいミツハシ君、行きましょうねー」 伊藤が三橋の首根っこを掴んでずるずると引きずっていく。 「あにすんだ伊藤! 離せ!」 「お前は喧嘩っ早すぎなんだよ三橋! いいか、こういう店やってるあんちゃんはな、ヤっちゃんばっかりなんだぞ、お前ヤクザに喧嘩売る気か」 「そんなん関係ねー!……あ」 「ん?」 三橋はバナナチョコ、と書かれた店を指差して、顔を輝かせた。そして伊藤を見る。 「おお、バナナにチョコだぞ!」 「お前は本当に食い気だな……」 伊藤がぼそりと呟くのも聞こえないくらいの素早さで、伊藤に金をねだる時間も惜しいというほどの速さで、三橋は三本バナナチョコを買って美味しそうに頬張った。 「んめー。お、あっちは焼きそばか。そこは串焼きステーキで、でもってこっちはかき氷」 バナナチョコを食べながらもごもごと次は何を買おうかの算段をしていた。 すると、何やらアナウンスが流れ始める。お、と思っていると、花火が上がって、出店に群がっていた人も一度足を止め、歓声を上げている。もちろん、三橋はそんなのおかまいなしだ。いつの間にあのバナナチョコを平らげたのか、もうかき氷の店に並んでいる。 「おい三橋、花火だぞ」 「そーだな」 「……あのよぉ、もうちょっと感動するとかなんとか、ねえのか」 「んだよ、俺が花火チョーキレー! とか言うと思ってんのか」 確かに、三橋はそういうものに感動するタイプではない。どこまでも食い気に走る奴だ、と思ったが、伊藤はそういう三橋が好きだったから、思わず笑みを零してしまった。やっぱり今日は来て正解だった。 「なあ、もうちょっと見晴らしのいいとこ行こうぜ」 「なんだよイトー、焼きそばと串焼きステーキが待ってるってのによお」 「あんな長ぇ行列に並ぶ必要ねえよ。てか、並んでるうちにお前はよからぬことをやり出すからな。後で俺が何か驕ってやるから」 何かぶつぶつとまだ呟いていたが、最後の一言が決めてとなり、三橋は大人しく伊藤について来た。かき氷は移動している間に、カップごとなくなっていた。 「おし、ここなら花火がよく見えんだろ」 伊藤が草の上に腰を下ろすと、三橋も隣に屈みこんだ。人気のない、それでいて花火がよく見えるスポットだ。三橋は花火を見てでけー、とかすげー、とか気のない言葉を連発している。何だかよくわからないが、少しくらいは感動しているようだ。 しかし、三橋は急にしかめっ面をして、前方を見つめて……否、睨んでいた。伊藤がその方向を目を凝らして見ると、少し離れたところでカップルがキスをしていた。あーあ、と思う前によく暗闇の中でカップルがそういう行為に及んでいることが瞬時に見えたなあと感心した。 「花火を無視してハレンチな行為に及ぶとは、花火に対するボウトクじゃ」 「花火に感動してんだろ。こういうのは雰囲気だよ、雰囲気」 三橋は不機嫌オーラを隠そうともせず、何度も唇を重ね合うカップルに殺気を投げかけている。しかし、幸せ絶頂のカップルは気づく様子もない。 「そっとしといてやれよ、三橋、俺たちが動けばいいだけだろ」 「なんで俺が動かなきゃならんのだ!」 いや、俺たちが後から来たんだし、という伊藤の言葉に三橋は耳を貸さず、どうやって邪魔してやろうか、どうやってぶち壊してやろうかと真剣に考え込んでいる。より確実に破局に持っていくためには、と何やらぶつぶつ呟きながら考えている横顔を見て、伊藤はいよいよ怖くなった。 「し、仕方ないだろ、三橋。カップルはな、花火見るとキスがしたくなる魔法にかけられているんだ」 「アホか」 う、一蹴。 伊藤ははあ、とため息をついた。そして、カップルから目を離さずぶつぶつ呟く三橋を無視して、花火に目を戻す。花火は大きくて綺麗だった。ぱあっと開いては、余韻を残して落ちるように消える。なるほど、これは確かに、ロマンチックだ。伊藤はちらりと三橋を見た。三橋はいつの間にか、カップルから目を離して、大きな花火に見とれていた。三橋のことだから、こういう、俗世間的な催しには慣れているのかと思っていたが、意外とそうではないらしい。そういえばさっきも出店でかなりはしゃいでいたな、と思い出す。 三橋自身も恐らく無意識なのだろう、ほう、と、一つ息をついた。 にやりと笑って、伊藤はそっと三橋の耳に唇を寄せる。 「キスしたくなった?」 三橋は物凄い勢いで振り返って、少し顔を赤らめて眉を吊り上げた表情で、口を数度ぱくぱくさせた後、ふっと笑って見せた。 「き、キスしたくなったのはテメーだろ、イトー?」 三橋の強がり。伊藤にすぐわかる。 「そうだな」 伊藤はそう言って、三橋にゆっくり口付けた。三橋は抵抗せず、伊藤の唇を受け入れる。舌を差し込んでも抵抗しない。それどころか、気持ちよさげにも見える。もっとも、気持ち悪かったらとっくに殴っているだろう。 「……ん、ふぅ……」 鼻にかかったような声に、にわかに伊藤は興奮する。こう、いろいろ、男の性が掻きたてられる。相手も男だが。 ゆっくり唇を離す。 「あ、あのー、三橋」 「んだよ」 「俺、ちょっと、あはは」 三橋は視線を恐る恐る下腹部に落として(もちろん、伊藤の)露骨に嫌な顔をした。 「俺、アオカンは嫌だからな!」 「お前よくそんな言葉知ってるネ」 「うるせえ、近づくなエロガッパ」 三橋はずりずりと尻の位置をずらして伊藤から離れる。鞄が一つ入るくらいの間をあけて、しかし三橋はそれ以上離れようとしない。そんなところもああ、可愛いなあ、なんて本人が聞いたら絶対に殴るようなことを思ってしまって、伊藤は鞄一個分の距離を素早く縮めて、また唇を奪ってしまうのだ。 前方の空にはまだ花火が大きく咲いているから、この魔法を、もう少しだけ。 |