それは悲しみによく似た、





 好きだと、思った。
 その言葉は突発的に三橋の頭の中で響いて、三橋が否定する前に、三橋自信が自覚した。好き? 俺が。
 誰を?
 伊藤を。
 好きという言葉は綺麗で純粋で、とても甘美だ。同時に、辛く痛々しく、非情でもある。三橋の場合、まず最初に猛烈な怒りが沸き上がってきた。自分に対する怒りである。どうして、よりによって、彼なのか。男であることもさることながら、だって、彼は、彼には――。
「今日さ、京チャンとデートなんだ」
「……ふーん」
 つまらなそうに、三橋は仏頂面でそっぽを向いた。伊藤はそれでも上機嫌で話を続けた。
「でさ、ミツハシー。ラーメンおごってやっから、今日は大人しくしてくれよな。な?」
 まるで聞き分けの無い子供みたいな言い方をされてムッとする。しかし口は開かない。ひとたび口を開けば出てくるのは罵詈雑言だろうことは目に見えている。俺は大人だからな、と心の中で呟いた。大人だから何も言わないでおいてやるのだ。
「三橋?」
 いつもと違って反応のない三橋を不審に思って伊藤が声をかける。
「まさかオマエ、ラーメンいらねーから邪魔するとか考えてるんじゃ……」
「ボケ!!」
 三橋は一言、そう言って伊藤の頭を殴った。こいつは何一つわかってない。手加減を忘れたので、伊藤が大げさに痛がっているのは、演技ではないだろう。いつもより苦しげな声で「なにすんだよ!」と言って、三橋を睨んだ。涙目なので迫力が無い。
 しかし三橋はまた何も言わずにそっぽを向いた。
 いつまでもそーやって焦っていればいい。気づかないテメーが悪いんだ。
「おい、三橋? どーしたんだよ」
 伊藤の手が肩に触れる。
 瞬間、三橋の中で、怒りとか不満とか、そういうのが一切消えて、代わりに襲ってきた、これは、痛み?
 どうすれば、この鈍感男は気づくのか。ムリにでも気づかせたい。気づいてもらいたい? ああもう自分でもよくわからない。ただ一つ言えることは、このままだと痛みは増すばかりだ、ということ。悲しみにもよく似ている。三橋は悲しみによく似たそれを、そっと心の中で転がして、持て余した。こんな感情の扱い方など、知らない。
 好き、とは、言えないけど。言えないから。じゃあ、無理やり気づかせてやろうか。
 京子にささげられる、いや、ささげられた? はずの、
 その、
 唇を奪って、
「三橋」
 気づいて。
「なあ三橋、ラーメン食いに行こうぜ。なあ」
「……三杯食うから、全部おごりな」
「三杯!? お前腹減ってたのか? あー、だからそんなに機嫌悪かったのか。ったくよー、もー」
 結局いつも、こんな風にして、だって、違うんだ。三橋は言い訳をするかのように繰り返す。違うんだ、俺は俺のやりたいようにやるけど、別にイトーが困るのを見たいわけじゃないんだ。
「じゃ、行こうぜ三橋。俺も腹減ったし……あだっ!」
 伊藤は殴られた頭をさすって怒る。怒るのはオーケー。
「なんで殴るんだ!」
「ムカついたからじゃ」
「ひでーよお前よぉー」
 三橋はちょっとだけ、笑った。
 嬉しさとか空腹とか幸せとか、それ以外の名前の付けられない感情ぜんぶに蓋をして、三橋は大好きな人の隣に並びながら、ラーメンを食べに行く。


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