ラーンと、あなた






 普通の人から見ればごく普通の光景なのだが、幽助から見れば。それは実に異様な光景だった。
 奇妙、と言ってもいい。
「仮にも、次期エンマが……」
 ラーメン食ってる。口に出さずに心の中でそう呟く。
 コエンマは平然とした顔でラーメンを啜っている。額の「Jr」は隠していて、服もごく普通のスーツを着ているが、今目の前に座っている男が霊界に名を轟かせる支配者なのだと知る幽助は、こんな庶民も庶民、俗世間の鏡といった屋台に顔を出すことは、やはり妙だとしか思えなかった。
「なんだ、ワシだってラーメンくらい食うぞ」
 幽助の心を読んだわけでもないだろうが(頭上から何か気配を感じた、というのならあるいはあるのかも知れない)、コエンマは顔を上げてそう言った。
「いや、そりゃあそーだろーけどよ……茶、飲むか」
「ああ」
 幽助は麦茶(これは商売用ではなく、幽助が自分で飲むために家から持ってきたものだ)をコップについでコエンマに差し出す。コエンマは軽く礼を言って飲もうとすると、じっと注がれた視線に気づいて、口に運びかけたコップを元に戻す。
「なんじゃ」
「いや」
「そんなに見つめられては飲みにくいじゃないか」
「オメーしか客がいねーんだから仕方ねーだろ」
 コエンマはコップを置いて、じっと幽助を見つめた。幽助は思わずたじろぐ。なるほど、これは少し恥ずかしい、と内心考える。コエンマは尚も幽助を見つめる。そして、
「キスしてほしいのか?」
「はあっ!?」
 驚きのあまり、はあ、しか言えず、口をパクパクさせる。どこをどうしたらそういう結論に達するのか全くワケが分からない。すると、コエンマがくすくすと笑った。
 からかったのか?
「コエンマ、オメーなァ……」
 かあっと赤く上気した頬が平常に戻る。コエンマは間抜けなくせに、こうしてたまに人をからかったりするから食えない。
「いやいや、すまんな」
 なにが「すまんな」だよ。
「キスしたいのは、ワシの方だった」
 は?
 幽助がキョトンとしているうちに、コエンマは素早く腰を上げた。そして動けないでいる幽助の腕を引っ張って体を引き寄せ、自分も身を乗り出して、簡素なテーブル越しに口付ける。
 幽助はそのキスを甘んじて受け、下を差し込まれたところでようやく抵抗らしい抵抗をした。ここは屋外だということを思い出したのだ。
 肩を掴んで無理やり引き剥がそうとすると、案外あっさりコエンマは離れた。コエンマも、幽助を相手に抵抗しようなどと無謀なことは考えないのだ。返り討ちにあうのが目に見えている。
「バカヤロー、てめー、ここは外だぞ!? 公共の場だぞ!?」
 コエンマは悪びれた様子もなく「そうだな」と言っている。仮にも、仮にも次期エンマなのに……! 幽助はしかし、何も言えずに黙る。一度でもキスに応えてしまったのを指摘されたら何も言えなくなるからだ。
 コエンマは椅子に座り直して平然と麦茶を飲んだ。幽助も自分で麦茶をコップについで飲んだ。コエンマの意図がどこにあるのか、真意が、わからない。
「何しに来たんだよ、コエンマ」
「幽助のラーメンを食べに」
「もう食ったろ」
「ああ。でもまだ足りないな」
 コエンマがちらりと幽助を見上げる。
「なら、もう一杯食うか?」
 コエンマはじっと幽助の目を見て、やがてため息をつくと、「わからん奴じゃのう」と呟き、更に幽助を混乱させた。
「な、なんだよ? なんかあんならハッキリ喋れ!」
「いいのか? 公共の場だと言ったのは幽助だぞ」
 そこでようやく、幽助はコエンマの"足りないもの"に気がつく。同時に、先ほどのコエンマより深くため息をつき、やめだやめだ、と言った。そして、どんぶりや箸などを片付け始める。コエンマは楽しそうに、テーブルに肘をつきながらせっせと動く幽助を見やって、
「店じまいか? 今日はいつもより早いな」
 幽助はそんなコエンマを睨みつける。
「大事な人がもう待てないの、って、ワガママ言うんでね!」
 にやりと笑って見せた。


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