愛とかとかとりあえず






 逃げてください、と城戸は言った。
 誰から? 幽助は自問する。城戸から。答えは明確。自分を動けなくしている城戸が、なぜ逃げろと言うのだろう。幽助にとってそれは矛盾以外の何物でもない。
 城戸はシャドーを使って、幽助の動きを封じていた。
「俺じゃ、もう、俺をどうしようもできないんです」
 城戸は泣きそうに顔を歪めながら、幽助に手を伸ばす。指先がのろのろと幽助の頬に近づく。幽助は抵抗した。しかし、どうしても体が動かない。城戸が自分にシャドーなと使うはずがない。そう思って警戒を完全に解いていた。
「っざっけんな! 逃げてほしいなら今すぐシャドーを解きやがれ!」
 イメージでは腕が動いて、足も動いて、簡単に城戸にパンチを喰らわせているのに、どれだけ力を入れても動かない。動くはずがないのは前回で重々承知していたはずなのに、本能的にピンチを感じてもがこうとしてしまう。
 体力が消費するだけだ。
「ごめんなさい、浦飯さん」
「謝るくらいなら最初からすんな! いいからシャドー解けっ」
「すみません」
 城戸は謝るばかりで、能力を解く気はないようだった。それなのに、すごく苦しそうな、辛そうな顔をしていた。何かを耐えるような、でも耐え切れずに手を伸ばしてしまう罪悪感。
 城戸は今明らかに自分の意思で動いているはずなのに、幽助は城戸が気の毒に思えてきた。
「城戸、」
「浦飯さん、俺、俺は……」
 城戸の指先が幽助の頬に触れる。
 指先は震えていた。
 城戸は幽助を殺そうとしているのではない。
 犯そうとしているのだ。
 それは、城戸から殺気が何も感じられないことからもわかるし、何となく察していた。
 もともと、城戸の並々ならぬ思慕は感じていたのだ。しかし、幽助の感じたそれは、海藤や柳沢と比べて、という話であり、ここまで気持ちが成長がしているとは思わなかった。
 城戸は、ついに堪えきれず、涙を流す。
 みっともなく、泣きながらも、伸ばした手を引っ込めようとはしない。そのまま、左手で幽助の肩をそっと押すと、あっけなく幽助は地面に倒れる。下は草だからそんなに痛くはなかったけれど、いよいよまずい、と思った。
 それと同時に、幽助は地面に転がった衝撃で、急に冷静さを取り戻した。そして、抵抗をやめる。
 頬に温かいものが触れた。
 涙だ。
 城戸の。
「……男のくせに、泣くなよ」
「で、でも、」
「いいぜ、城戸」
 幽助は城戸の目をまっすぐに見つめた。
「お前の好きにしろよ。俺はもう、何も言わねー」
「浦飯さん……?」
 いいんですか、と、信じられないといった風に城戸が問う。
「お前がこうしたかったんだろ?」
 城戸は数度、瞬きをしてから、緊張した面持ちで、ゆっくり顔を近づけた。幽助は軽く目を瞑る。城戸が初めて女の子にキスをしようとする彼氏のような表情をするので、なんだか幽助まで緊張して気恥ずかしくなったからだ。まあ、あながち間違いでもない。ただ、相手は可愛くてウブな女の子ではなくて、強くて阿呆な男というだけだ。
 静かに唇を重ねる。
 たどたどしいキスだった。
 ただ押し付けているというだけのキスで、これなら俺の方が上手くできるぞと思ったが、黙って城戸のキスを受けていた。
「……ん、」
 ――くそ、あんだけ申し訳なさそうにしてたくせにしつけえな。
 ――ああ、俺が許可したからか。
 幽助は自問自答し、ようやく唇を離した城戸を見る。
 城戸は涙こそもう流れていなかったものの、代わりに、興奮で頬が僅かに上気していた。
「あ、あの……」
「なんだよ」
「本当に、いいんですか」
「何度も言わせんな」
 城戸は再び顔を近づけてくる。
 今度は首筋に口付ける。
 吐息が漏れた。
 幽助はにわかに緊張する。キスくらいならどうってことはないと思っていたが、その先のことを考えていなかった。よく考えたら自分は女役。そんな体験などついぞとしたことがなかったので、少し体を強ばらせる。
「……、」
 首筋を軽く吸われ、舌先で鎖骨を撫でられる。声が出ないように必死で抑えているが、息の乱れはどうしようもなく、城戸は更に入念に首筋を舐めた。
「は、ぅ……」
 思わず声が出てしまって、幽助はぎりっと奥歯を噛み締めて続く声を堪える。
 まずい、まずい。唇を噛むと、血の味がした。思いがけず強く噛んでしまったらしい。唇から血が出た。痛みはそれほどなかったが、血は大袈裟に顎から滴った。
「あ……」
 その時、城戸の動きがピタリと止まった。
 そして、唐突にシャドーが解かれる。
 幽助は両手を脇について上半身を起こし、城戸を見た。城戸は立ち上がり、じりじりと後退して幽助から離れている。顔が青い。ようやくはっきりと気づいたのだ。自分がとんでもないことをしたということに。
「う、浦飯さん。俺……やっぱり、無理です」
 幽助は軽く笑って、
「城戸、お前はそういう奴だよな」
「……もしかして、俺が途中でやめるって、わかってあんなことを」
「まあ、な」
 幽助も立ち上がる。服についた草やら土やらを払うと、改めて城戸に向き直る。
「で、城戸。お前な、物事には順序ってやつがあるんだ。わかんだろ」
「はい」
 城戸は幽助をまっすぐ見つめた。
「好きです、浦飯さん」
 真正面から言われるとやはりこっ恥ずかしい。幽助は照れ隠しに頭を掻いたり意味もなく「あー」と言ってみたりしながら、結局、
「とりあえず、一発殴らせろ」
 笑顔でそう言った。


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