九月の






 さざ波が揺れていて、夕陽は一層二人を照らした。
 九月の海はやはり少し肌寒く、しかし砂浜に座って、寄せては引いてゆく波を見ていたら、すぐに寒さなど忘れた。
「おー、きれーな夕焼けだ」
 幽助が何気なく呟くと、蔵馬はそうですね、と同意する。
「何も隔てるものがないとこんなに綺麗なんですよ、空は」
「なんで蔵馬はこんなとこ知ってるんだ?」
「昔連れて来てもらったことがあるんです」
 ――海に行きたい、と突然言い出した幽助にじゃあ行こうか、と蔵馬はすぐに連れて来てくれた。まるで幽助のワガママを見越したような素早さだった。
「お前のかーちゃんはいい人な。俺のととっかえてくれ」
「気持ちはわかりますけどね……」
 蔵馬は苦笑したが、ああ見えて、幽助も温子も、互いを大切に思っているのだ。それを蔵馬はわかっているし、幽助自身もわかっているから、そうやって悪し様に言うことができる。
「まあ、母さんには感謝してますよ。こうして恋人とも来れたわけですし」
「恥ずかしー奴だな、オマエ」
 幽助の前だから恰好つけてるんですよ、という言葉を蔵馬は飲み込んだ。幽助はあまり恋とか愛とか、そういうことを言われるのがあまり好きではないからだ。女扱いされているように感じるのか、単に自分がそういうことに慣れていないのかはわからない。でも、そういうことを言うと、何でもないような素振りをしながらも照れているのがわかるから、ついついからかいたくなってしまうのだ。
「幽助」
「ん」
「好きです」
「……」
 案の定、幽助は何も言えずに軽く俯いた。
 肌に感じる寒さとは裏腹に、夕陽に照らされた海は、とてもあたたかな色をしている。蔵馬は、その海のずっと向こうを見つめながら、ふと口を開いた。
「幽助は?」
 意地悪心ではない。純粋に、幽助の答えが知りたくなったのだ。
 自分と同じように遠くを見つめていた幽助は、果たして自分と同じことを考えているのか。
 予想に反して、幽助は毅然とした顔で、まっすぐ蔵馬を見つめた。目を。
「当たり前だろ」
 そして、笑う。
「好きだぜ、蔵馬」
 その時、唐突に、蔵馬は理解する。
 幽助は、素直だ。特に自分の気持ちには。さらけ出すことをためらわない。
 ただ、受け取ることに慣れていないだけだ。これだけ大きな好意を、愛情を。
「よし、蔵馬! 泳ごうぜ」
「え、今から?」
「そうだ」
「俺はいいですけど、服着たままで、この寒い日に?」
 幽助は寒さを感じていないような様子で、上着を脱ぎ捨てた。もう落ちかけた夕陽が、幽助の肌色をも等しく朱に照らす。吹くとか九月の海は冷たいだろうとか、彼は考えていないに違いない。蔵馬はそんな幽助を見て立ち上がり、波打ち際まで歩いた。
 蔵馬の横を幽助が走って通り過ぎる。
 そしてそのまま幽助は、九月の海に飛び込んだ。
 しかしすぐに足がついて幽助は顔を出す。顔に貼りついた自らの髪を乱暴に手でかき上げると、再び海にもぐる。それを幾度か繰り返すと、
「あー、気持ちいー!」
 そう言って、すたすたとこちらに向かって歩いてくる。
 なんだろうと思っていると、急に幽助が蔵馬の腕を掴んで、思い切り引っ張った。もちろん、蔵馬は海の中へ転ぶ。
「へへ、冷たくて気持ちいいだろ」
 いたずらが成功した子供のように無邪気に笑う幽助を見ると、もう少しこのまま幽助を眺めていたいという気持ちも消えてしまった。
 ついに蔵馬もびしょ濡れになった上着を脱いで砂浜に半ば投げ捨てるように置くと、海の中へもぐった。いつも重量のある長い髪の重さを、水の中では感じない。
 しばらく二人でそうしてもぐったり泳いだりと楽しんでいたが、すっかり陽も落ちて暗くなると、ようやく帰ろうという気になった。
 もう辺りは先ほどのような劇的な朱色など見る影もない。
「そろそろ帰るか」
 幽助が辺りを見渡して、恐らく同じことを思ったのであろう、そう言って砂浜へ戻ろうとした。その腕を、蔵馬は後ろから掴む。そして、少々強引に引っ張る。
 彼の顎を捕まえて、「さっきのお返し」とささやく。
 幽助の唇は冷たかった。
 彼の唇があたたかくなるまで、ずっとここでこうしていよう。蔵馬はそんなことを思いながら、少し火照った幽助の体を抱きしめた。


戻る