Shall we fight?






 ぐだぐだ悩んだり、恋人を思って悶々としたり、そういうのは幽助の得意分野ではなかった。幽助は常に待たせる立場であったし、不安を、どちらかというといろんな人に与える立場でもあった。それは、幽助が二度も死んだことが証明している。いつも気づくのはことが終わった後だっが。
 だから。幽助は苛々していた。嫌な奴と言われればそれまでだが、待たせるのも期待を裏切るのも(いい意味でも悪い意味でも)専売特許だと思っていたから、やっぱりどうも納得がいかなかった。



「遅い」
 いつもは神出鬼没の男が珍しく場所と時間を指定してきたかと思ったら、もう時間を三十分も過ぎていた。
 実は幽助も十五分遅れて来たのだが、それにしたって十五分も自分を待たせたのだから、これはもう拳決定だ、と幽助は軽く指を鳴らす。ぽきぽき、という心地のいい音を聞いて、ああ、喧嘩してえ、と反射的に思う。社会人になってから喧嘩は自粛してきたから、最近はめっきり拳を振るってない。もっとも、相手が幽助だと知って喧嘩を売ってくるような馬鹿もいないだろうが。
 思えば、中学の頃はなんだかんだ言いながらも好き勝手やって楽しかったなあ、としみじみと思う。明るく健全な中学校生活とは言えなかったが、むしろ正反対だったが、喧嘩はするのも見るのも参加するのも楽しかった。
 試しに全身で「ボクワルですぅ」とアピールしているヤンキーにガンを飛ばしてみる。
「ンだテメェ? ケンカ売ってんのかァ?」
 かかった!
 よく見ると中学生という風ではない。高校生だろう。新参なのかただのアホなのか、それともこの街では浦飯幽助という不良はもはや過去の人となっているのか。ともかく幽助を知らないらしい。
「売られた喧嘩は、買わなきゃなぁ」
 ガンを飛ばしたことをなかったことにして喧嘩を売られたことにする。
 しかし、精一杯強そうに見せかけているような男など、相手にならないだろう。まあ、それも仕方あるまい……と、幽助が一歩前に出た時、
「なんだァ? テメー」
 向かいのゲームセンターから出てきた男たち――ざっと七、八人くらいが、見せかけ男を見、それから幽助を睨んだ。なるほど、こっちは様になっている。幽助は久々に不良としての血が騒いだ。いいね、これだよ、そう腹の奥から沸き上がってくるものがあって、それは懐かしくも思えた。
「来いよ」
 挑発するように幽助は両手を軽く挙げて見せた。
「まとめて相手してやんぜ」
 もちろん、そんな挑発に彼らが乗らないはずがなく。



 結局、飛影が幽助の前に姿を現したのは約束の時間から一時間後だった。その間、いい暇潰しができたので、幽助の機嫌はそんなに悪くなかった。
「オメーどこほっつき歩いてたんだ?」
 飛影は悪びれた様子もなく、
「寝てた」
「はぁ!? テメー、人待たせておきながらなあ、」
「最近どうも緊張感がなくてな。勘が働かん」
 幽助は軽く首を傾げた。
「そりゃー、あれだろ。人間界病だ」
「なんだそれは。病気なのか」
「要するに、平和ボケだ」
 平和ボケ、の意味がそもそもわからないらしく、飛影は訝しげな顔を相変わらず幽助に投げかけていたが、残念ながら幽助もうまい説明ができるほどボキャブラリーがあるわけではなかった。
「なあ、飛影」
「なんだ」
「ケンカしようぜ」
 少し黙る。
「……ベッドでか?」
「アホか!」
 アレの代名詞みたいに言うな。
「真面目に、思いっ切り、ケンカしようぜ」
 幽助は先ほどもケンカしたばかりだったが、やはりというか、大した苦戦も強いられずに勝ってしまった。まだ何も知らないし、一度も死なない頃の自分ならあるいは苦戦していたかも知れないが(最終的には勝つが、もちろん)、今の幽助には、どんなにハンデをつけても互角に戦えるわけはなかった。まあ、久しぶりに拳を振るい、受けたのは純粋に興奮したが。
「な、やろうぜ? それで一時間待たせたこともチャラにしてやる」
 飛影はじっと幽助を見つめると、ふ、と笑った。
「いいだろう」
 その言葉に幽助も笑うと、どちらからともなく、それは始まった。
 間合いを詰められ、幽助も同じだけ後退しようとした時、
「幽助」
「え?」
 名前を呼ばれて、それもその声音が、低くて、とてもケンカしている最中に出す声ではなかったから――思わず反応してしまった。
 まずい。
 その瞬間、ぐいっと腕を掴まれ、引かれる。
 唇に触れる唇。
 キスだ。
「……は、え?」
 キスから解放されてもいまいち状況が飲み込めずに目をぱちくりさせていると、急に剣の切っ先が目の前に迫って、幽助は慌ててそれを避けた。
「て、テメー! きたねーぞ!」
「フン、油断する奴が悪い」
 一瞬でも呆けてしまった自分が許せない。幽助は、悠然と構える飛影のもとへ歩み寄ると、 ぐいと胸ぐらを掴み、先ほどの飛影と同じように口づける。
 飛影はまだ余裕だ。同じ手は通用しないとでも言いたげだ。
 ムカつく。幽助はいつまでも唇を離さずに、そのまま飛影を押し倒した。初めて飛影の顔に焦りの色が浮かぶ。そして、幽助は右手の指先を、そっと飛影の腹に押しつけた。まるで、銃を模したかのように突き出した人差し指の、指先を。
 そこで、ようやく口を離す。
「チェックメイトだ」
 ケンカは勝つ。幽助の信条であり、曲げられない信念だ。
 飛影は少しだけ、悔しそうににやりと笑った幽助を見つめていた。


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